2018年11月10日土曜日

反原発による核廃棄物問題の先送りに関する懸念

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/wired.jp/waia/2018/09_atsushi-shimizu/

上記のはてなブックマークから、原発関係について思うこと。特に反原発的な思考により原発のメインの問題点である核廃棄物問題の先送りに関する懸念。

福島の事故以後、世界は原発を停止や廃炉の方向で動いていて、中国を除く先進国では原発は減少中。そして原発を推奨していた二酸化炭素増加に伴う地球温暖化対策は後手後手になり、気がつくとかつて無いほどの二酸化炭素排出量に到達。その辺の情報のアップデートについては下記のTED動画が分かりやすい。日本語字幕もあるのでオススメだ。

https://www.ted.com/talks/michael_shellenberger_how_fear_of_nuclear_power_is_hurting_the_environment

原発事故は60年代初頭の古い設計の原発を40年近くにも渡り使い続け、廃炉の問題を「先延ばし」にしたことで起きたようなものだけど(何故なら廃炉にするために運転を止めて燃料棒をプールで冷やしておけば、津波での被害も今回の事故にはならなかったので)、地球温暖化とそれに伴う気象の変化により台風被害の拡大しているとすると、その死者数は福島の原発事故の被害を軽く超えてくる規模になっていると思われる。
原発の問題が先送りの問題であるならば、台風被害のような問題も同じ先送りによる問題となり、問題の根底にある怠惰な部分は一緒である。これはあまりよろしく無い。
原発も日進月歩で、1960年代の福島の原発と今の原発の安全性には一般的に考えられているよりも遥かな違いがあるように思う。

1960年代の車を今の車の感覚で乗ると危険な様に、60年から半世紀を超え、1年と2ヶ月後には60年以上経過しようとしている。それくらい古い原発の安全性を根拠に批判し、原発を停止させ、止めた原発の安定電力分を賄うために化石燃料の消費量をこうして増やしてしまうのであれば、地球温暖化対策については大きな後退になってしまう。話はそれるが、1960年以前はビッグバン理論を信じている人は少数派で、宇宙に始まりは無いとする恒常的宇宙論が科学者の間で常識と考えられていた。それくらい古いパラダイムの時代と考えると、とても昔のことの様に思えるのではないだろうか。長くてすまんが、一言でまとめると:
1960年代→常識違いに古い

さて、再生可能エネルギー推進として原発の安全性に疑問を投げかけたり、放射性廃棄物どうするの?といった論点は研究資金を獲得する上でも、世間への説得でも非常に有用な論点である。放射性廃棄物の問題は、極めて重要だ。また、核弾頭に込められた高純度のウランやプルトニウムもどうするの?と言う問題もある。世界平和のためには非核化を目指したい。
上記のTEDの動画でも述べられているが、核弾頭を減らすならプルトニウムを原発で燃やしてエネルギーに変えれば良い。兵器として大量の人間を一瞬で殺すのに使うべきか?それとも発電に利用し、日々の楽しい生活のエネルギーに変えるべきか?別に悩まなくても良い。単に後者を選ぶだけである。

核廃棄物はどうするの?と言う点でも原発の技術が非常に役に立つ。ビル・ゲイツ氏の支援で研究開発が進んでいるTerra Power社の進行波炉は、既存の使えない大量のウランを燃料に変え、それらをロウソクの様に燃やし尽くしエネルギーに変え、同時に核廃棄物を大幅に減らす。以下のTED動画(日本語字幕もあるよ)でビル・ゲイツ氏本人が説明しているが、この進行波炉は2022年に商用利用が始まる予定である。

https://www.ted.com/talks/bill_gates

上記の動画を見ると分かる通り、進行波炉はウランを燃やして着火し、後はウランが燃え尽きるまで放置する様な構造である。何か問題が起こった時に止める必要がない。メルトダウンフリーな構造で、かつ問題となっていた核廃棄物を燃やして減らせる技術である。

この様に放射能の問題については、放射能を扱う原発技術が大変有用だ。
原発を危険と論じ、そこから全て撤退する様な考えは、福島の古い原発の廃炉の時と同様に問題の先送りでしかない。核廃棄物を何万年も放置しなければならないのを問題と考えているのであれば、それをどうにかする技術を考え出すのが進歩である。原発は危険として立ち止まり、そこに向き合わないのでは、再生可能エネルギーがどれだけ普及しようとも、核廃棄物はあいも変わらず何万年も残り続ける。これは問題の先送りでしかなく、その長さたるや先送りの最もたるものである。

そして、問題の先送りが何を引き起こして来たのかはみなさんのご存知の通りである。原発を恐れる人達が、その事故を引き起こしたのと同じ先送りの心理状況になってしまうのであれば、福島の原発事故を引き起こしたのは結局のところ、あなた自身でもある。

2018年4月7日土曜日

土俵に上がった女性に関するしきたりの適用について

昔も似た様なことを問題視する人がいたようだ。
イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。 すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。 そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。 人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」 そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。((マタイによる福音書 12:9-13))

善行と「律法」や「しきたり」が 矛盾する時には、「律法」や「しきたり」は人のためにあり、人が「律法」や「しきたり」のためにあるのでは無いと言う原則を適用すれば良いのではなかろうか。