2009年9月5日土曜日

自由の存在

自由について考えるとき、条件で自由を定義すべきではないかな?と思った件。

J・P・ゲッティーが何かのインタビューで『あなたは世界一のお金持ちですが、もう十分稼いだんじゃないですか?』と聞かれて、暫く考えた後「いや、まだ十分じゃないですね。」と答えたそうです。

ところが彼は世界一のお金持ち。彼が稼いだ金額が十分ではないと言うのなら、他の人は一生かけても十分なお金が手に入らないことになります。『十分なお金があればしあわせ!』とか『十分なお金があれば自由!』とかいうのは、彼のエピソードをもってすれば一生無理なんじゃないか?とすら思えます。お金はいくらあっても十分ではないのでしょうから。


条件を付ければ、条件に縛られる

自由と言うのは何事にも縛られないこと。お金があれば自由と言うのは、お金を失えば自由じゃないということにもなりますし、〜ならば〜って条件に縛られている以上、それは自由ではないのではないかな?と。

逆にどこかの島国に、お金も何も持っていない人がいて、自分で作った家とボートを持っており、毎日魚を釣って生活しているとします。そこに金持ちの人がやって来て、君は自由かい?と聞きます。その人は、自由とは何ぞや?と聞きます。好きなことを好きな時にし、不満のないことさ、と金持ち。毎日美味しい魚を食べ、何も不満無く生きているからね。自由ってやつなんじゃないか?と釣り人。別に金の有る無しが自由の条件になるわけでないってことくらい、誰にでも分かります。


哲学

まあ、そんなこんなで自由は心のあり方であって、条件で定義されるものではないかな?と。〜なら自由と考えてもいいんだけど、それを満たすことによって別の不満が発生する。そうすると、新たな自由の条件がそこで誕生し、再度自分を縛る。でまあ、一生心の中には自由が得られない。


自由になる方法は自由になること

究極の自由への解決策は、心の中で自分が自由であると実感すればいいのではないか?ってのが個人的意見。歴史を見ると、ある国の弾圧に耐えかねて戦争によって自由を勝ち取るなんてことはありますが、でも自分とこで政府を作ってしばらくたつと、その国の国民は自分達の政府で自分を縛っているってことでしょう。そこで色々な不満が出て来てこう思う『自分は、自由じゃない!!』

だから、自由に条件付けた瞬間に、それは自由を失っているんだろうなぁ、なんて考えますよ。

1 件のコメント:

bit さんのコメント...

こうやって、好き勝手にブログを書けることが自由そのものと言えます。

おっしゃるとおり、条件が必要です。
それは、他人を侵害しないこと。

他人を侵害した時点で犯罪になり、捕まれば、自由が奪われます。
マナーという条件ですね。

うーむ、いろいろ考えれば考えるほど「自由」とは曖昧です。