スポーツとかで一流の選手は、来る日も来る日も自分の時間の大部分を練習に費やしている。毎日同じようなことを続けるのは、たまに誰もがこんなことしてなんになるんだろう?と、疑問を持つことだけど、その退屈な出来事を続けることで、普通の人では中々辿り着けないレベルになり、多くの人を楽しませることが出来るプレーを提供出来る。そこに人々は喜んでお金を払う。
職人の技術とかも、日々同じことを繰り替えし、徐々にレベルを上げて行った結果、誰もがおいそれとは辿り着けない品質のものを作り上げることが出来るようになったからこそ、そこに評価される希少性が現れるのだと思う。
テレビでやっているようなプロのマジックショーも、小学生が始めて覚えるような手品の改良版を何度も何度も練習することで、驚く程スムーズな動きになり、そこに捻りのあるフィニッシュを加えることで、子供のやる退屈な手品は、大人でも楽しめるエンターテイメントに変わる。中身は一緒なのに、どうしようもない程のクオリティーの違いが、一流とその他大勢を別けている。
大事なことは、日々の退屈なやることを、ただもがむしゃらに改良を加えて行くこと。そしてそれが評価の対象として見て貰えるようになるには、長い年月がかかるっていうこと。
退屈から逃げないでやり続けるのってのが、一つの才能になるっていうのは、そういうことなのかな?と。
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