2007年11月10日土曜日

伝説のサービスと消費者のとるべき姿勢

今ネットで任天堂のサービスの凄さがなんとなく盛り上がっている感じがある。

例えば、遊んでいてニンテンドーDSを壊してしまった子供の親が、ダメ元で任天堂に修理を依頼すると、本来なら持ち主の過失によるものなので有償となるところを無料で新品同様にして送り返してくれた上、子供が故障した本体に張っていたシールも綺麗に剥がし、送って来た新品の同じ箇所へ張り直されていたという。修理に出した元々の機器には子供が付けた細かい傷などもあったが、送られて来た物にはそれらが一切消えていることから、まるっきり新品だと分かったそうだが、貼ってあったシールまで元に戻すというのは子供の心をきちんと理解しているという証とも見て取れる。

こうしたエピソードを聞くと感動してしまう。相手のことを思ってサービスを行なっているというのが実感出来るからだろう。理解されている、声に出さなかった要求まで汲み取って対応してもらえる。そのような大事な人としての扱いを受けることに感情が揺さぶられるんだろうね。

伝説のサービスで有名なホテルにThe Ritz-Carltonがある。こちらも素晴らしいサービスを提供することで有名で、エピソードを一つ上げると、

ある日リゾート地にあるリッツカールトンで、プールの係の人が夕暮れに近づいたのでプールサイドに設置されていたイスやテーブルを片付け始めると、一人の男性がやってきて彼のためにイスを一つ残しておいて欲しいと頼んできた。理由を聞くと、夜空を眺めながらビーチを散歩して来た後に、ホテルのプールサイドを通る時、彼女をそのイスに座らせてプロポーズしたいのだという。承知しましたとそのプール係は男の人に告げ、イスをそのままにしておいた。

ここまでなら良くある話。

そのプール係の人は片付けが完了した後、プロポーズが行なわれる場所にテーブルを設置し、レストランからシャンパンを持って来てグラスと薔薇の花をセットした。また、ホテルからスーツを借りて着替え、二人がやってくるのを待った。

プロポーズをしようとしていた男性が恋人と二人でプールサイドにやってくると、キャンドルライトが置かれたテーブルには薔薇の花とグラスが置かれ、隣にはシャンパンを準備したプール係が待っていた。イスの下にはプロポーズをする男性がひざまずいた時に砂で膝が汚れないようにタオルも敷いてあったという。


こうした声に出なかった相手の要求を読み取り、さらにそれをより優れた体験へと引き上げるサービスは、お客様の立場を理解しているという証だし、そのように自分を扱ってもらえるというのは、自分の存在意義を強く認識させられ、幸福感を高めてくれる。だからこそ感動が生まれ、だからこそそのサービスを提供してくれるブランドとしての価値が強くなる。一つの企業の名前がブランドに変わる時、そこにはお客様の期待を裏切らないという約束がこめられることになる。

残念なことに、こうした伝説のサービスが生まれ人々に伝わると、みんながみんなそれを当然のこととして受け止めるようになり、些細な点で気分を害するようになる。例えば、任天堂の例で言えば、保障期間が過ぎても修理に送れば無料で新品になって帰って来るといった話がネットで伝わると、任天堂に修理を頼む人全員が「無料で素晴らしい対応をされなきゃ嫌だ。」という感情を持つようになる。それもどうかと思う。仮に有料だった場合、他の人は無料だった人もいるのに差別だ!とでも文句を言うのだろうか?それが回数を増すにつれて、企業がそうしたクレームを嫌うようになり、面白くもないサービスを提供せざるを得なくなる。融通が利かなくなるし、窓口の対応も一本化され、手続きは長くなり、消費者が求めていたはずの上質のサービスは死を迎える。

誰が悪いか?消費者の態度の問題だと思う。古き良きブランドは素晴らしきお客様達によって育てられるという。

リッツカールトンの従業員に浸透させているモットーには以下のようなものがある

「紳士淑女に御仕えする我々も紳士淑女である」

と。優れたブランドを優れたブランドとして保ちたいなら、自分達自身も優れたブランドであるべきだし、全ての人間がより良いサービスを追求している社会なら、どこへ行っても、どこで生活しても、どこで働いても、期待が裏切られることは無いはずだ。そんな社会だったら素晴らしいし、それは実現すべき世界だと思う。



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