2008年2月23日土曜日

相手の問題を分析するよりも、考え方を分析した方が解決になる件について

ものを考える土台となっている思考の世界をパラダイムという。一つのパラダイムをもとに人間は思考を築き上げて、論理的に理解を導き出すのだけど、その考え方であるパラダイムは、その人その人によって違うので、他の人から見たら非現実的で非合理的な行動をとっていても、その本人にしてみれば合理的と判断してやっている場合が多い。というか、そう頭で判断しているからこそ、その行動をとっていると言える。

言い換えれば、人間は必ず合理的に動く。非合理的な人がいるように見えるのは、あなたがその人の考え方を理解していないからだ。ということになる。

子供の行動に親が怒っている姿を街中で見かける時、親は子供の持っているパラダイムからくる行動が理解出来ずに『なんでそんなことするの!ダメでしょう!』と怒っている。子供は自分でそれが最適な選択だと思って行動しているので、怒られると理解に苦しむ。また、親が誉めているつもりでも、相手のパラダイムに合った誉め方をしないと逆効果になる。自分の例を挙げれば、子供の頃は「カッコイイ」と言われるのは男としてのイメージからプライドを高めることになったが、「かわいい」と言われるのはどこか弱くて人から愛される頼りない存在という認識が働き、男としての自我を確立したい妨げになってしまうため、凹むこととなった。周囲の人が子供を見て「かわいい」と言う時、その言葉が相手に与える影響がどんなものであるかを知るためには、こうしたその人の持つ考え方であるパラダイムを知る必要がある。カッコイイと言われなくてショックだった子供に対しては、そう言われることのメリットを納得させればその言葉をすんなりと受け入れさせることが出来る。こうしたパラダイムの破壊を行なうことにより、問題は問題でなくなるわけだが、正面から問題に対して問題として取り組むと、その背後にある問題を作り出している考え方が見えずに、結局何も解決出来ずに終わってしまう。赤の他人なら良いが、毎日続く親子関係の場合、これは途中で修復が困難な状況にもなるため、しっかりと成長に伴って変化していくパラダイムを観察し続ける必要があるのではないか?と考えている。

パラダイムは良くも悪くも一瞬でつくられます。幼児期の般化現象によって一定の条件が刷り込まれます。パブロフの犬と言う実験があり、犬が餌を食べる時にベルを鳴らすことを繰り替えすと、餌を与えない時でもベルを鳴らせばよだれが出るようになります。こうしてその時の状況と、一つの状態が組合わさった瞬間を何度も再現させ続ければ、脳の中ではその2つの要素が結びつけられ、それを当然のこととして受け止めるようになるわけです。例えそれが、実際にはなんの関連性もなくとも。これは、赤、白、赤、白、、、と一秒ごとに点滅している電球を見ていると、赤の後には白、白の後には赤が来ると勝手に脳が推測してしまうことと同様です。こうした行動を築き上げているのもパラダイムです。そしてこれが様々な問題点を作り上げているわけです。赤、青、緑、黄色、白という色が毎回異なって表示される電球しか見たことがない人と、赤白の点滅しか見たことがない人とが電球について話をした時、この人々の会話が噛み合ないことは明白です。そして、人間同士が抱える問題はこうした場合が殆どです。パラダイムを理解していないため、その問題を作り出している思考を問題として捉えることが出来ないのです。そして、相手が理解出来ないこといお互いに腹を立て、罵り合いを始めてしまうのです。

双方がお互いのパラダイムを理解すれば、こうした問題はすぐに解決を図ることが出来ます。上記の電球の例で言えば、双方がそれぞれの電球の状態を見せ合うことをすれば、世の中には様々な色に光る電球や一定のパターンを持って光る電球があることに気がつき、そこで思考を作り上げて来た世界がリセットされ、新たな思考の世界が生まれ、それを元にコミュニケーションが出来るわけです。この時、最初に合った問題は既に問題ですらなくなっています。

パラダイムを理解するという視点から、より多くの理解を得ることに繋げることが出来ます。そしてこの相手のパラダイムを学ぼうとする姿勢を持つことで、驚く程に問題と思えていた問題は、実は存在していなかったと言うパラダイムに辿り着くことになるわけです。




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