人間は理解されてからじゃないと、相手に自分を理解してもらえる状態にはなりません。
理解されたい欲求と言うのはあるのか?という疑問もありますが、人間の欲求は基本的な生存欲求を満たした後に、より高次元な認知欲求を満たしたい状態に変わっていきます。
生存欲求は生活をしていく環境を整えたいという欲求。住居や食事の問題が解決している場合が殆どの日本と言う環境において、これは殆どの場合満たされている。
認知欲求とは自分が周りの人から認められると言う欲求。好かれたり、大事にされたり、愛し合いされたり、そして社会的に成功を収めて有名になるといったこと。
人間の多くは、これらの欲求を何らかの段階で常に求めている状態にある。例えば、空腹の時は食べ物を求め、満腹でも人恋しい時は友人へメールをしたり、恋人とデートをしたいと思う。逆に満腹の人間に食べ物を勧めても拒絶される。これは当然のこと。
よって、相手が何を求めているのかを知ることは、相手の内なる要求を理解することを通じ、相手の信頼を得ることに繋がる。自分が何を求めているのかを理解してもらえないことが、コミュニケーションにおける問題点とも言える。
これは医者が患者に対して正しい診断を下すことと似ている。体の調子が悪いので病院に行き、お医者さんにあれこれ質問されて、熱や血圧、心拍数、尿検査、血液検査などをされ、原因を究明し、診断を下されれば安心するが、話だけして『風邪ですね。処方箋出しておきますんで、薬局で薬貰ってそれ飲んでください。』と言われると、この医者はちゃんとわかっているのだろうか?という不安が付き纏う。
しかし、多くの人は診断をする前に処方箋を書こうとしてしまう。会話の流れを途中でさえぎったり、自分の経験で思いつくことを言って話を終わらせてしまう。
例えば、子供が帰ってきて学校に行きたくないという。すると親は、学校に行かなきゃダメじゃないか。勉強しないと良い大学に行けないし、大学を出ないとまともに就職出来ないぞ、と言って子供を学校に通わせようとする。しかし、これは体の具合が悪いんですとやって来た人に対して、健康じゃないと生活に困りますよ、しっかりして下さい、と言うようなものだ。そんなこと、言われなくても分かっている。と言われた相手は気分を害し、その人の言うことなどに今後耳を貸そうとしなくなる。
診断を下す医者の場合に戻ると、医者は患者の状態をあらゆる側面から観察し、患者はそうやって医者が色々と調べてくれていることを認識しているから『先生、自分はどんな病気なのでしょうか?』と聞く気になるのである。つまり、相手を理解してから、相手に「この薬を飲みなさい。」という自分の意見を理解される立場に立てるのである。
先ほどの子供の場合、親は相手の話を聞いてはいなかった。なので、聞くところから始めないといけないのである。
『学校に行きたくないんだね。』
「行きたくない。」
『何か嫌なことでもあったようだね。』
「数学の問題が解けなくて笑われたんだ。」
『笑われたのが嫌だったんだね。』
「馬鹿にされるた気分で、凄く腹が立ったよ。」
『馬鹿にされたくないんだ。じゃあ、どうするのがいいと思う?』
「いっぱい勉強して、馬鹿にされないようにするよ。」
『それは良いことだね。パパに手伝えることはあるかい?』
「分からないところがあったら教えて!」
といった流れがある方が健全な親子関係と言える。相手の立場を理解することなく、途中で物事を決めてしまい、自分の言いたいことだけを言ってしまうのは役には立たない。それどころか、相手からの信頼を失い、今後の親子関係にヒビが入ってしまう。子供は親に相談しても何の解決にもならないという気持ちになり、様々な悩みを相談することなく心の内に溜めてしまい、大きなストレスとなる。親が助けようとしても、子供が離そうとしないのだから、ますます解決は困難になる。
うまく行く話しの聞き方と言うのは一つのスキルだ。自転車の運転を覚えるのと一緒で、スキルと言うのは、練習で身につける技術の一つなので、誰にでも努力次第で習得することが出来る。
理解する話の聞き方を向上させるには、以下のようなステップを踏むと良い。
1、状況を理解する。
オウム返しのように相手の言ったことを反復する。
2、状況を理解したことを、自分の言葉で表現する。
「~ってことは、XXXってことを言いたいんだね?」
「あなたが言っていることは、~ってことですね?」
などと聞き返す。
3、状況を理解し、自分の言葉で表現し、それに相手が感じているであろう感情を添える。
「~な状態になっていて、XXXに感じているように見えるね。」
1と2の状態は状況を分析するだけで左脳の働きが中心となっている。しかし、3の段階になると、状況分析に伴い相手の心理的状態はこんな風に思っていることだろうと言う同調の感情が伴い、右脳の働きも活性化される。つまり、脳をフル稼働させて相手を理解しようと勤めていることとなる。説明すると淡白な印象になるが、脳をしっかりと使って相手の話を聞いていると言う態度は、相手に『この人は自分を理解しようとしてくれているんだ。』という安心感を与え、より信頼性を得ることが出来る。そして、人間は信頼した相手の話には耳を傾けるが、信頼が無い相手の話は、例えそれが真実であっても疑ってかかるのである。
こうした相手の話を聞くことに関しては、時として多くの時間を要する作業ではあるが、時間が無いからといって疎かにしてはいけない。むしろ、時間が必要なら、必要な分だけ時間を投資するべきである。理由は簡単で、相手の話を聞かないと、相手の信頼を失うことに繋がる。そして、信頼を失った相手から信頼を取り戻すのは、さらに多くの時間を必要とするためだ。逆に時間をかけて信頼を築いて行けば、あまり時間をかけずとも自分の話を聞いてもらえるようになる。相手の話を聞くことによって信頼が蓄積され、それが膨大な量になると、言葉数が少なくともお互いを理解しあえる状態となり、より良いコミュニケーションの繋がりが生れるのである。
よって、相手を理解することに時間をかけるのは、損の無い話なのである。相手を理解していると思われることなしに、あなたの言葉を相手に届けることは不可能なのである。
理解してから、理解される、というコミュニケーションの大原則を忘れてはいけない。
ということを学んでいる一冊がこれ。自分が高校を卒業する頃に売られていたはずなんだけど、気づかずに過ごしていたのがもったいない。とはいえ、あの時点で理解出来たかどうかという疑問も残る。とにかくお勧めの1冊です。
7つの習慣―成功には原則があった!
1 件のコメント:
看護の姿勢、及び精神疾患患者に
最も重要視されるのが
聴く姿勢=傾聴と
相手に対しての支持的(指示的ではない)
対応
なので皆が他人に対しても
実践出来ると良いですな。
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